ガラスと木は対照的な素材。感覚的な言葉で表すと硬いと柔らかい、冷たいと暖かい。ガラスは衝撃に脆いが方や木は粘り強い強度を持つ、など。また透明と不透明は言うまでも無い事ですがこの点が組み合わせて使うには特に面白いと思えるところです。無表情で透明なガラスと対比されると木はその木目が表情豊かに引き立っているように見えます。ショーウィンドウやショーケースの様にガラスを通して見ると中のものが艶やかに見えるのも効果的で、組み合わされた木に対しても同様の効果はあるはずと私は思います。しかし光の加減ではそれも全く裏切られ白く反射して向こうの物は何も見えなくなったり、映り込みが強くてそれしか目に入らなかったりと、透明ガラスが不透明になる時があるのですが、家具の場合それも味方につけて考えれば一つのテーブルやガラス扉のキャビネットが時間帯や季節の移り変わりで、また見る角度でも幾通りもの表情を持ちバリエーション豊かに楽しめるのです。
分解、塗装のはく離という普段では馴染みの無い作業から始めました。車やオートバイは年式の古いものをレストア(レストレーション)して内外装やエンジンに手を入れ走行不能だったような車体を蘇らせる、そんな業者が家具よりはまだ一般的にあるように思います。私も学生の頃から車好きで旧車好きなので車のレストアの作業を時々目にする機会がありますが、年式が古ければ古い程その作業は当然ながら困難で全体を各部品に分解し、腐食部分を造形し直したり、手に入らない部品を新たに作ったり、同仕様の他車から部品をコンバートしたりと・・・細かくは切りの無い作業です。今回の書斎机(椅子)の修理も先ず各部の分解に始まり、車のレストアと同様で使える価値ある部材は極力使える状態に戻し、新たな部品を組込んだ方が良い場合は全体に馴染むようにして加える、という作業を施しました。写真には表れない内部の部材や引出しの箱は虫食いのダメージがひどくほぼ一式作り替えた程ですが、表に出ている楢材はホゾの組み直しや、反りの矯正、補強等そして再塗装を施せばしゃきっと蘇りました。作られてから少なくとも60年から70年くらい経つ机ですが私の診断ではまだまだ折り返し地点にも達していないのでは、と。納品時に依頼主の方に大変喜んで頂いたのが第一に何よりの事ですが、この年代の家具(木製品)に触れ感じる事も多くありましたので良い機会となりました。

Before




柳田國男の机を見る事を目的に兵庫県神崎郡福崎町の記念館を訪ねてみました。この机は柳田が大正10年頃から昭和37年にかけて成城の書斎で愛用していたもので民俗学の数々の名著はこの机で執筆されたと言われています。写真で見ていた印象よりも実寸法は小さく天板部で1200×700程のコンパクトでありながらしかし凛とした佇まいがある立派な机です。 この机にとても良く似たものがあるので是非修理(修復)をして使いたいと、以前からのお客様から連絡がありました。こちらは南あわじ市の某医院の院長が使っていたものでおそらく昭和20代からかな・・との事ですがいつどこで作られたか等は聞き伝わっていないようです。材質や細部の工作、また全体の大きさはに違いはありますが両袖と中央の引出し、天板上の棚、蛇腹式のシャッター等はほぼ相似形の構成になっています。推測では大阪から運んできた可能性もあるとの事でしたのでこちらは関西圏の職人の手に依るものでしょう。片や柳田の机は東京または関東圏の職人に特注して作ったものでしょう。(記念館で尋ねてみましたが机についての詳しい資料や記録は特に無いようでした。)特注の家具とは言え何処でどんな職人が作ったかという事は半世紀以上も経つと案外わからなくなってしまうものです。こんな事も、特に目立って注目される事無く日々生活をし生涯を終えていく八割方の人々の営みに注目し掘り下げた柳田國男の学問、フォークロア(民俗学)と重ねてみると面白いと感じました。そして修理は引き受けましたので少なくとも50年後の職人に繋ぎたいと思うところです。
出版社から本が届きました。著者である西川栄明さんが木工に関わる人々を取材して雑誌の連載をされていた記事が一冊の本になったものです。私もその中の1人として書いて頂いていますので是非本屋さん又はアマゾンなどで探してみて下さい。届いたばかりで私もまだ皆さんのページを読めていませんがそれぞれに個性的な素晴らしい方々の中に参加させて頂き光栄に思っています。個人的にはあとがきを先に興味深く読みました。ところでこんな場合私も木工作家として紹介されますが自らは木工家です、作家です、と名乗る事は無く、そう認識されればそれも良し、時にはデザイナーであり、職人に徹する場合もあり、街の家具屋さんで木工屋さんであり、ジャンルレスで幅広いオーダーに答えて出来る限りストライクを投げ続けていたいと言うのが今のスタンスです。その辺りの感覚は西川さんには上手く汲み取って書いて頂いているようです。また私がぼそりと言った80歳くらいまでは作り続けていたい・・云々と言うところも文章になっていますが、そうその頃には木工作家ですと名乗っても良いのかもしれない。とにかく今年は年頭に「増々作ろう」と思いましたのでこの本にも刺激を受けて増々作ります。
2012年1月は予定通り5日から始動しています。今月は昨年末から取り掛かっている仕事が一つ、娘さんが結婚の門出に持って行かれる為にと、ご両親から依頼されご本人やその兄弟の方と和やかに打合せをした家具の制作を進めています。そしてもう一つは天板が2400×1200×約80の大きなテーブルを一枚の板でという依頼を支給材で進めて行きます。(写真)普段は勿論私の方で持っている材、または探した材を使いますが今回は他方から条件に合った材が見つかりましたので図面作成と制作を引き受けました。どちらもそれぞれに緊張感のある作業で新年のスタートには何よりと感じています。 しかしいずれも納期に余裕は有りません、木屑にまみれる一月となりそうです。
「今年は大変な・・」という書き出しにはしたくないところですが、やはり日本は東日本や和歌山などを襲った自然災害、それに連鎖した事故などで、また世界中の各地を見ても政治経済に大きな変化が誰にでもわかる形で表れ、皆が不安を少なからず感じた「大変な」一年だったと振り返ります。アトリエKIKAも例外ではなく進んでも進んでも今一つ前進しない感の年だったとまた振り返ります。例年なら大晦日の数日前には仕事を納めて大掃除をしているのですが、今年はもう少し、もう少しと作業が区切れず今日の午後まで仕事をしてしまった事に象徴されるかもしれません。おかげで作業場の掃除は窓拭き程度の小掃除に終わりました。しかし窓の掃除は改めていいものだと実感、ホコリや挽き粉で曇ったガラスが綺麗になるだけで見通しが良くなり、ちょっとオーバーですが「明るい未来が見えてきた」と思えました。(かなりオーバーですがこれくらい楽観的な方が万事上手くいくはず!)来年は辰年の年男、前に前に進みたいものです。 今年も皆様本当にありがとうございました。

新年は5日(木曜日)よりスタートします。
栗材のテーブルができた。制作工程の途中でも「ひとまずできた。」と思えるのは塗装の工程を残すのみとなった時。木取りから始まり、削り、組み立て、塗装の為の生地調整と進み、さてと全体を眺める。全体のバランスはこれで良かったか、ディティールに不備はないか等の確認もあるが、調整しながら進めてきているのでここで大きく手を加える事は無い。この「眺める」で無塗装の木の表情を束の間愉しみたいと思い、記憶しておきたいとも思っている。次の工程で塗装を施してしまうとこの状態へは二度と戻す事はできない。家具店に並ぶ量産品も我々が作るオーダーメードの物も大半は何らかの塗装が施されてありユーザーがこの無塗装の状態の製品を目にする機会はあまり無いはずだが、木の生き生きとして艶やかな表情に被いがされていない状態で形は完成しているのだから、ともすると一番いい状態で綺麗だといつも思う。ではなぜ塗装をするのかと言うと第一に表面の保護剤でありまた表情に深みを出す化粧ともなるからだろう。今回のテーブルもこのまま使い始めるとそれは気持ちがいいはずだが、一ヶ月もすれば手垢、染みが付いて、日差しが差し込む明るい部屋であれば色も少し付き始めるだろう。スッピンで美しい女性も毎日そのままでは日焼けも気になるしシミが出来てしまっては取り返しがつかない、そして更に美しくなりたい・・・と似ているかもしれない。 それでも思い切ってダイレクトな木の経年変化を味わいたいという方には、樹種や作る物の種類にもよるけれど稀に無塗装の製品を提供して使って頂いている。これはオーナーの努力も必要だが深い味わいが出てきている。 塗装もまた大切な工程なのでその種類や特徴等についてはまた何かの機会に紹介したいと思う。
教会に長椅子を納めた。背もたれの後ろに聖書台があるのが一般的な椅子とは異なる特徴で、今回長さは各2m10cm。 この教会の信徒さんが工房を訪ねてくれたのがこの仕事の始まりとなった。打合せ、納入場所の確認に何度か伺ったが、日曜日だと子供さんからご老人まで老若男女が日曜礼拝に集う、牧師さんが女性という事もあってか柔らかな雰囲気の教会だった。私はクリスチャンではないが教会の建物の中にしばらくいると気持ちが少し落ち着くような気がする。旅先などで大聖堂の圧倒的な空間を訪ねても、また片田舎で小さな寺院に足を踏み入れてもその気持ちは似ている。ある本に依るとそれは日本人の独特の宗教感覚に由来すると言っている。多くの日本人は「無宗教」を自称しながら神社やお寺、教会あるいはモスクでしばらくゆっくりと座っていると敬虔な、心が洗われるような気持ちになるはずで、それはある宗教以外は認めないという排他的な思いを持たず、広く神仏を信じる気持ちを強く持っているからだと言う。私はその気持ちの由来は日本の気候風土に依るところが大きいと感じる。今年のような大災害に見舞われると人間の無力さを強く感じてしまう機会となる、神に祈り、仏を拝みたくなる気持ちは自然に生じるものだ。 先日作業中に訪ねてくれたアメリカ人の友人が教会の長椅子(信徒席)の事を英語では特別にpew(ピュー)と言うんだと教えてくれた。この椅子にも長い年月をかけて人々の祈りが染み込んでいくのだろう。

淡路キリスト教会 / 淡路市岩屋
前回夏の初めに暑中見舞いを書いてから瞬く間に月日は経ち、季節は秋。朝晩が涼しい、から少し寒いという言葉に変わる頃が日中の作業場での仕事が一番はかどる頃かもしれない。季節も良いので先日妻と神戸の御影にある香雪美術館の展覧会に足を運んだ。御影は私が通っていた高校があり、また独身時代に近くに住んでいた事もありとても親近感を覚える街、この美術館はその静かな住宅街の中に佇んでいる落ち着いた小さな美術館で以前から好きな場所だ。展覧会では作品の批評などおこがましいので、展示作品の中から一点だけ自分に頂けるなら何れを選ぶかという見方をしてみる。岐阜の師匠から聞いて以来そうしているが、かしこまって展示されている作品が随分身近に感じる。私がいいと思った茶碗を妻もいいと言った。なんて書くと仲のいい夫婦のようだが ・・・・・ どちらが頂くのかそれでもめるのかもしれない。秋もまた楽しもう。
梅雨が明けて、淡路島にも夏の強い日差しが降りそそぐ季節がやってきました。アトリエKIKAは2001年から淡路島での制作活動を開始していますので、今年で10年の歳月が経過し11年目の夏を迎えています。エアコンなど無い作業場では毎年2〜3kgの減量は当たり前になる程の汗をかきますが、私は四季の中でどの季節が好きか、と問われると[夏」と答えています。今年は梅雨にしっかりと雨が降り、その明け方もはっきりしていて、この数日は良い夏本番のスタートだと感じています。長らくお待たせしていました店鋪棟の改装は概ね終えて、こちらは7月より緩やかにスタートしております。お気軽にお立ち寄り下さい。ただ打合せや納品等で留守の場合もありますので制作物のご相談のある方、遠方からの方は事前にご一報頂きますようお願い致します。
イギリスのアンティークの中に見つけた折り畳み式のブックエンドに心惹かれることがありました。読書好きで旅好きの国の人が必要を感じて、しかも楽しんで作った物なのだろうと思うといろいろな想像が膨らんできます。そこで折り畳み式である基本の形を活かし、私も楽しんで数点作ってみました。こんなアイテムと本を数冊バックのポケットに滑り込ませて出発する旅はどんなものでしょうか。近頃私は作業中に聞くラジオはFM COCOROがお気に入りなのですが、昨春からOver 45の為のミュージックステーションと言うはっきりしたコンセプトで番組が構成されていて、我々世代の琴線に触れる曲が多くかかり、話題も親近感を持てます。その自局CMが私は好きで、 その中では19Cに55歳で江戸を旅立ち日本中の危険な海岸線を旅して正確な地図を作った伊能忠敬のこと、17Cに世界初のバックパッカーと言われるイタリアのJ・F ・ジェメリ・カレリが40代から世界中を旅して北京では皇帝に謁見したりメキシコの遺跡ティオティワカンを訪れたりした話が紹介されていますが、旅の大きな目的よりもその途中吹き抜ける潮風が心地よかったり、星空が綺麗だったりで、「偉そうな事言ってたようだけどただ旅に出たかっただけなんじゃないかなあ、」と最後にDJが気の抜けた呟きをしているのがいい。彼らが本を携えて出発したかは分かりませんが、そんなラジオを聞きながら、旅のお供にしても日々のベッドサイドにこれから読む本を数冊並べても良いと思い、大人のアイテムを一つ作りました。旅も読書も無限の発見と出会いがあるはず、私も枕元の本を読みながら南米大陸か20代で訪れたヨーロッパの国々なのか、世界一周?人生後半の旅に思いを馳せてみることにします。(旅のブックエンド|¥12.600 在庫4点)
「盆」、「a tea trey」、「das tablett」(独)、また韓国にもブラジルにもインドにもこの一枚の板の上に皿や器を載せて運ぶための道具があり日常の生活に使われているはずです。両方の手にコップを一つずつ持って運ぶより3つ、4つ盆に載せて同時に運ぶ方が合理的な事は間違ないですし、もてなしの姿勢や文化度が少し増す事も間違いありません。我々は建築現場で仕事をする機会も少なくありませんが休憩時間に大工さん他その現場に携わる職人達が野地板やコンパネの切れ端を盆にして缶コーヒーを並べている光景を度々目にします。地面の上に直接置かれた缶コーヒーを飲むより美味しい?はずですし、新築の床を水滴で汚す事も有りません。私はこの一枚の板が有れば出来る「盆」は木を材料にした道具としてとても好きな物の一つ。たかが板されど板、というところが有り工夫次第で形のバリエーションは限りなく、同じ形を作っても樹種や木目の違いで印象はまったく異なります。 在庫を少しずつ増やしています、どうぞ手に取ってご覧下さい。