教会に長椅子を納めた。背もたれの後ろに聖書台があるのが一般的な椅子とは異なる特徴で、今回長さは各2m10cm。 この教会の信徒さんが工房を訪ねてくれたのがこの仕事の始まりとなった。打合せ、納入場所の確認に何度か伺ったが、日曜日だと子供さんからご老人まで老若男女が日曜礼拝に集う、牧師さんが女性という事もあってか柔らかな雰囲気の教会だった。私はクリスチャンではないが教会の建物の中にしばらくいると気持ちが少し落ち着くような気がする。旅先などで大聖堂の圧倒的な空間を訪ねても、また片田舎で小さな寺院に足を踏み入れてもその気持ちは似ている。ある本に依るとそれは日本人の独特の宗教感覚に由来すると言っている。多くの日本人は「無宗教」を自称しながら神社やお寺、教会あるいはモスクでしばらくゆっくりと座っていると敬虔な、心が洗われるような気持ちになるはずで、それはある宗教以外は認めないという排他的な思いを持たず、広く神仏を信じる気持ちを強く持っているからだと言う。私はその気持ちの由来は日本の気候風土に依るところが大きいと感じる。今年のような大災害に見舞われると人間の無力さを強く感じてしまう機会となる、神に祈り、仏を拝みたくなる気持ちは自然に生じるものだ。 先日作業中に訪ねてくれたアメリカ人の友人が教会の長椅子(信徒席)の事を英語では特別にpew(ピュー)と言うんだと教えてくれた。この椅子にも長い年月をかけて人々の祈りが染み込んでいくのだろう。

淡路キリスト教会 / 淡路市岩屋
前回夏の初めに暑中見舞いを書いてから瞬く間に月日は経ち、季節は秋。朝晩が涼しい、から少し寒いという言葉に変わる頃が日中の作業場での仕事が一番はかどる頃かもしれない。季節も良いので先日妻と神戸の御影にある香雪美術館の展覧会に足を運んだ。御影は私が通っていた高校があり、また独身時代に近くに住んでいた事もありとても親近感を覚える街、この美術館はその静かな住宅街の中に佇んでいる落ち着いた小さな美術館で以前から好きな場所だ。展覧会では作品の批評などおこがましいので、展示作品の中から一点だけ自分に頂けるなら何れを選ぶかという見方をしてみる。岐阜の師匠から聞いて以来そうしているが、かしこまって展示されている作品が随分身近に感じる。私がいいと思った茶碗を妻もいいと言った。なんて書くと仲のいい夫婦のようだが ・・・・・ どちらが頂くのかそれでもめるのかもしれない。秋もまた楽しもう。
梅雨が明けて、淡路島にも夏の強い日差しが降りそそぐ季節がやってきました。アトリエKIKAは2001年から淡路島での制作活動を開始していますので、今年で10年の歳月が経過し11年目の夏を迎えています。エアコンなど無い作業場では毎年2〜3kgの減量は当たり前になる程の汗をかきますが、私は四季の中でどの季節が好きか、と問われると[夏」と答えています。今年は梅雨にしっかりと雨が降り、その明け方もはっきりしていて、この数日は良い夏本番のスタートだと感じています。長らくお待たせしていました店鋪棟の改装は概ね終えて、こちらは7月より緩やかにスタートしております。お気軽にお立ち寄り下さい。ただ打合せや納品等で留守の場合もありますので制作物のご相談のある方、遠方からの方は事前にご一報頂きますようお願い致します。
イギリスのアンティークの中に見つけた折り畳み式のブックエンドに心惹かれることがありました。読書好きで旅好きの国の人が必要を感じて、しかも楽しんで作った物なのだろうと思うといろいろな想像が膨らんできます。そこで折り畳み式である基本の形を活かし、私も楽しんで数点作ってみました。こんなアイテムと本を数冊バックのポケットに滑り込ませて出発する旅はどんなものでしょうか。近頃私は作業中に聞くラジオはFM COCOROがお気に入りなのですが、昨春からOver 45の為のミュージックステーションと言うはっきりしたコンセプトで番組が構成されていて、我々世代の琴線に触れる曲が多くかかり、話題も親近感を持てます。その自局CMが私は好きで、 その中では19Cに55歳で江戸を旅立ち日本中の危険な海岸線を旅して正確な地図を作った伊能忠敬のこと、17Cに世界初のバックパッカーと言われるイタリアのJ・F ・ジェメリ・カレリが40代から世界中を旅して北京では皇帝に謁見したりメキシコの遺跡ティオティワカンを訪れたりした話が紹介されていますが、旅の大きな目的よりもその途中吹き抜ける潮風が心地よかったり、星空が綺麗だったりで、「偉そうな事言ってたようだけどただ旅に出たかっただけなんじゃないかなあ、」と最後にDJが気の抜けた呟きをしているのがいい。彼らが本を携えて出発したかは分かりませんが、そんなラジオを聞きながら、旅のお供にしても日々のベッドサイドにこれから読む本を数冊並べても良いと思い、大人のアイテムを一つ作りました。旅も読書も無限の発見と出会いがあるはず、私も枕元の本を読みながら南米大陸か20代で訪れたヨーロッパの国々なのか、世界一周?人生後半の旅に思いを馳せてみることにします。(旅のブックエンド|¥12.600 在庫4点)
「盆」、「a tea trey」、「das tablett」(独)、また韓国にもブラジルにもインドにもこの一枚の板の上に皿や器を載せて運ぶための道具があり日常の生活に使われているはずです。両方の手にコップを一つずつ持って運ぶより3つ、4つ盆に載せて同時に運ぶ方が合理的な事は間違ないですし、もてなしの姿勢や文化度が少し増す事も間違いありません。我々は建築現場で仕事をする機会も少なくありませんが休憩時間に大工さん他その現場に携わる職人達が野地板やコンパネの切れ端を盆にして缶コーヒーを並べている光景を度々目にします。地面の上に直接置かれた缶コーヒーを飲むより美味しい?はずですし、新築の床を水滴で汚す事も有りません。私はこの一枚の板が有れば出来る「盆」は木を材料にした道具としてとても好きな物の一つ。たかが板されど板、というところが有り工夫次第で形のバリエーションは限りなく、同じ形を作っても樹種や木目の違いで印象はまったく異なります。 在庫を少しずつ増やしています、どうぞ手に取ってご覧下さい。
私は二十代の会社勤めをしていた頃、会社の休みがが平日だった事も有り一人で神戸の街の骨董屋又はアンティークショップを訪ねて回るのがちょっとした趣味だった。どの店も若造を心良く招き入れてくれていたが阪神淡路の震災以降店を閉めてしまったところが多い。神戸の経済状況やアンティークと呼べる年代のものが品薄になって来た事が理由だが街の深みを出していた部分が今少ない事が寂しい。一軒の店の店主を久しぶりに訪ねたところ家具の修理を頼まれて作業場に持ち帰った。19世紀フランスのコンソールだが細い線でよく長い年月頑張ったなと言いたいし、小さいものだが作った人の繊細さと大胆さには見習うところが有る。また脚の間にある棚は豆の形をしていて、日本でも「まめまめしい」と怠りずにせっせと働く事を良しとするが、英語やフランス語にも同じようなニュアンスの言葉があり「full of beans 」は、元気いっぱいで、達者でという意味、ポジティブさを造形にした一つの表れなのだろう。古いものを前にそんな話をするのが面白いじゃないか。

次は20世紀のトレー・・・いやこれは私が十数年前に友人の結婚祝いとして作ったものだが長年の内に取手が破損してしまったとの事で修理を引き受けた。夫妻と共に時間を過ごして来ているのでキズも部材も出来るだけそのままにと思ったが、よくよく診断して先の年月の事を考えると取手部分の部材は新しいものに挿げ替える事にした。これはトレーとしては使いにくそうに思われるかもしれないが、料理好きの友人に客をもてなすトレーとしても、料理を盛るプレートとしても使えるようにとデザインしたものだ。「形に意味を」といつも思っている。
以前のatelierKIKAをご存知の方は、おやっとお思いかも知れません。そうです壁や床の色が変わり、新しい棚も設えました。前回ご紹介したテーブル同様のコンセプトでブラックウォールナットの辺材(原木の表皮に近い白太又はそれを含む部分から得られる木材)で作っています。前面を整える程の板の幅が無いので表皮の表情をそのままに、成るべくして成るフォルムを残しています。これは分かり易い一例ですが、木工の場合人為の及ばない材料の都合というものが随所に出てくるものです。それを上手く使う創意工夫がひとつの重要な点で、その制作者の特徴に成る部分なのだと考えます。 少しずつ「模様替え」進行中です。この棚の上に置かれるものにも乞うご期待下さい。
atelierKIKAの応接テーブルを新調しました。あくまでも自家用なので上等の材を使ってはいませんが、それでもブラックウォールナットで2m50cmの大テーブルが出来ました。白太も思い切って使い、通常は切り落としてしまう割れも繕って使って、細い脚には構造を増やして補う。部材も、考え方も「タイト/ tight」にと思って作る事にしました。私が’97に個人での制作の仕事を始めて以来のそれ程長くない期間でも、特に近年は一般に良い木材と言われる木が年々入手し難くなっています。理由は見方によって幾通りか有りますが、結果として市場に多く無い(出ない)ので我々の手元に届きにくいのです。今回は自家用で、ならば有る木を有効に大切に使うという習作も兼ねてみました。皆様、次回お立ち寄り頂いた際にはこちらのテーブルへご案内致します。

制作物の写真を中心に順次アップしていきます。どうぞ宜しくお願い致します。